ブランドンは、ドナからの「ブレンダをぜひスキーへ行けるよう、ジムとシンディに言って欲しい」という電話を受けた。ブランドンがキッチンにいた二人にそのことを話すと、二人ともブレンダがスキーへ行くことすら知らなかった。そう、旅行禁止例は嘘だったのだ。そこにブレンダが帰宅し、事情を問うと、行こうと言われたが行きたくなかったので、断る為に口から出任せをいったのだという。ブレンダはスキーは二度としたくないのと、部屋へ戻っていった。
ブランドンは、怒りながらブレンダの部屋へやってきた。今はいろいろ悩んでいるの...とブレンダは謝るが、ブランドンは「悩みは誰にでもあるが、お前はいつも極端に走るじゃないか。他のみんなはどうか知らないが、自分はもうウンザリなんだ」と言った。ブレンダも自分で自分にウンザリしている...スキーを楽しんできてと言うが、ブランドンは何も言わずに部屋へ戻っていった。
起きたブレンダがキッチンへ降りると、シンディ達はパサディナへローズボールを見に行くところだった。ブレンダも一緒に来ないかと誘ったが、今は考え込まないで済むように、お風呂へ入って自転車に乗り、読む本を探しにいきたい...と言って、見送った。
ブレンダは窓際のベンチに座ってブーツを履いていたが、そのベンチが歪んでいるのに気付いた。マットを剥ぎ、板を捲ってみると...そこには赤いバンダナとピースマーク、そして日記らしきものが出てきた。埃だらけの日記を開いたブレンダは、その中身を読み出した。
日記の持ち主は、以前ブレンダの部屋に住んでいたウェンディという女性であることがわかった。時は1968年...
1月2日、ウェンディ(ブレンダ/演)はピーチピットでピーター、ウィルと喧嘩をして、友達は誰も自分の事を分かってくれない...と記している。 ウェンディの家族は両親(ジム&シンディ/演)と兄(ブランドン/演)の4人家族で、そこそこいい雰囲気の家族だったが、ベトナム戦争が始まってからは、ディナーの時でも食事にほとんど手を付けず、戦争の様子をテレビで見てるだけの家族になってしまった。そして宣伝になると一番に口を開かずにはいられないのが、兄ウィルだった。 |
3月31日、両親とウェンディが、ジョンソン大統領による「アジアでの戦争は必ず勝つ」とういうテレビ演説を見ていると、ピーター(ディラン/演)がやってきた。父親は彼をヒッピーだ!...と嫌っていたため、またウェンディと言い争いになり、彼女はジェネレーション・ギャップを感じたと日記に書いていた。 この日、ジョンソン大統領は次期大統領選の立候補を辞退すると、テレビで宣言した。 ピーター、ウェンディ、メリーアン(ドナ/演)、ミッシェル(ケリー/演)らは、ピーチピットにやってきた。ウィルピーチピットで働いていた。そしてウェンディに近寄り、サイモン&ガーファンクルのコンサート会場で、ロバート・ケネディの為に署名集めをしたのか?と聞いてきた。ピーターが、彼ならこの馬鹿げた戦争を終わらせることができる!と言っていると、ピーチピットのオーナー(ナットさんの父)が「ヒッピー共の出入りは禁止だ!出ていけ」と、彼らに出ていくように命令した。 その夜以来、ウェンディとウィルの関係はすっかり変わり、全てが変わってしまったという。 |
1968年6月。カリフォルニア州の予備選が終わり、多くのボランディア支援者は公園に集まって、ロバートの為の内輪のお祝いをしていた。 みんなは公園にある倒れた木の上に腰掛け、仲間が取り出したマフィファナでトリップしようとしていた。ミッシェルはこれっきりだから...と、マリファナに興味を持っていたが、ウェンディだけは止めておく...と、その場から離れた。すると暗やみから、メリーアンが出てきてウェンディの腕を掴んでこう言った...「ロバート・ケネディが射殺された」 |
ピーチピットへやってきたブレンダは、ナットさんとアンドレアに日記のことを話した。そして、日記を読んでいると彼女の私生活に土足で踏み込んでいるみたいで...と言うと、アンドレアは、大学の登録事務所に行けば、彼女のことがわかるのでは?とアドバイスした。ブレンダも大学の図書館で卒業記念アルバムを調べようと思っていた。
ブレンダは、壁に飾られている、日記にも出てきたナットさんのお父さんの写真を見て、「想像とは大違い」と言った。
図書館にやってきたブレンダだが、該当する卒業アルバムはまだマイクロフィルムになっていなかった。6階に行って調べるしかなかった。ブレンダはその司書に、当時何をしていたかを尋ねてみた。彼女はまだ中学生だったが、大学の中庭で開かれたbe-insに参加したという。
ブレンダはその日の日記をめくり、読み初めた。
1969年3月31日。戦争に対するみんなの意識を高めようとするピーター達とは逆に、一人覚めた目で見ていたのはウィルだった。彼はピーターのマイクを奪い、「自由とは戦うに価するものであり、死ぬことに価するものである」と訴えた。二人は互いにマイクを奪って叫び続けんだ。ミッシェルが二人の間に入って泣き叫んで錯乱状態になっても、お互いに罵倒し合っていた。かつては親友同士だった二人は、別々の方向へ進んでいった。 |
ブレンダが日記を読み終わると、司書は「強烈ね」と一言いい、卒業アルバム探しに協力すると申し出た。ブレンダは帰宅して続きを読んだ。
ウェンディはウィル以外に頼れるものがいない...と、ピーチピットへやってきて、ミッシェルがL.S.D.でおかしくなったと言い、チョコレートシェイクを飲ませるからと連れてきたので、ウィルにミッシェルの介抱を頼みたいと言った。ウィルはピーターがL.S.D.を持っていて、ウェンディもやったのかと言ったが、ウェンディはそれを否定し、ウィルも特に詮索はしなかった。 ウィルはミッシェルに気があったため、彼女を店の中へ入れることを許した。その間、ウェンディはピーターと車の中でいいムードになっていた。ピーターとミッシェルが付き合っているのを知るウェンディは抵抗したが、ピーターは「いまはフリーな感情を味わいたい」と言って、ウェンディとMAKE LOVEしたいと言った。しかし、ミッシェルの事が気になって最後までは行けなかった。 |
パサディナから戻ったジムとシンディは、家の明かりも付けず部屋にいたブレンダに声をかけると、ブレンダは泣いていた。そして、「まだディランを愛している。だからスキーへ行かなかったの。可哀相なウェンディ...」と言った。ウェンディ??? ジムとシンディは誰のことだかわからなかった。
1969年5月。セス(デビッド/演)はメリーアンに気があった。そして、今夜こそコンサートに誘って...と考えていた。上手いこと部屋へ連れ込んで、寮へ帰るのを引き止めるのに成功したセスだったが、結局なにもなかった。そのことをメリーアンが友達に話し、それがセスの耳にも入り、彼は二度とメリーアンとは口を聞かなくなった。 |
二人はブレンダから日記のことを聞いた。ブレンダは「25年前のことなのに、自分のことのように共感できるの」と言い、二人にも読んであげたいところがある...と言って、部屋へ入っていった。ベトナム戦争と学生動員委員会の話しは、ジムとおじいちゃんの関係に似ていると思うが、この場合は彼女とお兄さんなの...そういって、日記を読み初めた。
ウィルは、なぜ自分の将校養成学校の卒業式に来られないのか!とウェンディを責めた。彼女は平和集会へ参加する予定だった。ウィルは集会が乱闘デモになるのは目に見えていると言い、ウェンディがこの戦争に反対でも構わないが、来て欲しいんだ!と訴えた。 そして、集会のおかげで大学構内をパレードすることもできない自分の気持ちがわかるか?と言って、テレビを蹴り壊した。
ウェンディは、この平和集会はピーターや一部の学生主導者達が、事務局ビルを占拠することで、自分達がテレビのニュースに出ることに利用したのだ...と、後から考えれば思うが、別の見方をすれば、不思議な一体感があり、自分達の主張が通り要求が通って、これで世界が変えられるという思いがみなぎっていたと、日記に書いていた。 しかしその朝、ウィルは所属部隊とベトナムへ発ってしまい、兄にサヨナラを言えなかった。 |
日記を読んでもらったジムは、「そう...あの頃はそうだった」と口にした。ブレンダは指を2本たてて「ピース」と言って、シンディもうなずいた。
朝、キッチンへ降りていってブレンダは、ウェンディが自分のことのように思える...同じ部屋に住み、二人とも逮捕されたけど起訴は免れた。シンディは、ブレンダはウェンディと違って兄妹関係は良いわ...と言うと、ブレンダはウェンディとウィルが仲直りをしたと話し、戦争へ行ったウィルがウェンディに宛てて書いた手紙を読み初めた。
親愛なるウェンディ、テープをありがとう。お前から手紙をもらえてとても嬉しい。最後にお前と会った時の僕らの仲を思えば、なお更だ。正直、あの時僕はとても恐かったんだ。ベトナムで上手くやっていけるかどうか...隊の志気は落ち込んでいる。僕でさえ休暇でバンコクへ行ける日を指折数えているんだ。しかし、休暇まではやるべき任務がある。文句を言っても始まらない。僕が何を言おうと聞いてくれない。愛しているウェンディ。お前に会いたい。ウィルより |
読み終えたブレンダは、朝から暗い気持ちにさせてしまったわね...と謝り、ジムは出来ることなら時計の針を戻して、やり直したいよと言った。
ブレンダは、ウェンディを見つけたい!と二人に言って、図書館へやってきた。昨日の司書は、アルミニハウスで務めている友人から、記録に残っているウェンディの住所を貰っておいたから...と、それをブレンダに渡し、彼女に会ったら何を聞くつもり?と、ブレンダに聞いた。ブレンダは、日記の最後(1969年7月18日)に書かれている、134-10-66-72という数字が何かを聞きたいと思っていた。
ピーターがウェンディを訪ねてやってきた。ピーターは、東部のロックフェスティバル(ウッドストック)にミッシェルと行くが、席に余裕もあることだし、一緒に行こうと誘った。彼はその後、カナダへ移動して暮らそうと考えており、ウェンディにサヨナラを言いに来たのだった。ミッシェルもコンサートに後、ヨーロッパを方々歩き回るらしい。ウェンディは、きっとミッシェルが嫌がると思うからと、フェスティバル行きを断ったが、彼女はトリップが激しくて、分からないだろうとピーターは言う。 |
司書は、その数字に意味が分かったら教えてね!と、ブレンダを見送った。
ブレンダはブランドンから借りた車に乗って、ウェンディを訪ねた。ミッシェルは早死にしたと聞き、彼女の写真を見せてもらって「ブロンドかと思っていました」と言った。メリーアンや、セスやロニーも写っていた。残念ながら誰の消息も分からないのだが、ピーターの名前だけは時々テレビ見かけるけれど...と、彼が脚本家であることを話した。ブレンダがウィルはどうしているか?と訪ねると、彼は帰還しなかったと言い、ブレンダに兄弟姉妹がいるかを聞いてきた。兄がいると答えると、「今を大切にね。時は過ぎ行き人は変わるわ。そして人はすぐ感謝の心を忘れる。」とブレンダに言った。
ブレンダは、ウェンディをピーチピットに招待してハンバーガーを御馳走すると約束して、日記の最後のページに書かれていた数字の意味を質問した。134-10-66-72。ウッドストックへ行く時に通った道路の番号...ブレンダは「やっぱり行ったんですね!素敵だわ」と言って、帰っていった。
自宅へ戻ると、ブランドン達がスキーから戻っていた。マンモス山は大雨で散々だった!という。そして、パームスプリングスにいるデビッドのおじいちゃん達の所へ行くことになったのだが、ブレンダもどうだい?と誘ってきた。ブレンダは素敵ねと、みんなの中に入っていった。
"...well maybe it is just time of year or maybe it's the time of man I don't know who I am but life is for learning..."
"Woodstock",Joni Mitchell,1969 青春とはただの歳月か、自分が誰なのかわからない一時期か、とにかく人は一生学び続ける |